鉄骨で日本を支える

川岸工業は2026年3月22日、
創業120周年を迎えました。
支えていただいた
すべての皆様へ感謝の気持ちを込めて、
歩んできた軌跡と、未来へつなぐ想いを
お伝えします。

Message 社長メッセージ

鉄骨で日本を支える。
その誇りを100年先へ

川岸工業は、2026年3月22日に創業120周年という大きな節目を迎えることができました。
今日まで歩みを共にしてくださったすべての皆様に、心より厚く御礼申し上げます。

戦後復興、高度経済成長、そして現代へと続く時代の流れの中で、
歴代の先達が不退転の決意でつないできたモノづくりのバトン。
それは、私たちの誇りであり、責任でもあります。

その根幹にあるのは、創業当初から変わらぬ「人間尊重の精神」です。
事業の主役は常に「人」であり、一人ひとりの成長こそが、
信頼されるモノづくりの源泉であるという信念のもと、
私たちは時代の要請に応えながら、挑戦を続けてまいりました。

これからも「鉄骨で日本を支える」という企業理念のもと、「100年後の未来へつなぐ
匠の技」を合言葉に、 快適な空間づくりや街づくりを通じて、持続可能な未来の実現に
貢献してまいります。 その強い想いとともに、技術と生産性のさらなる向上に努め、
お客様にとって唯一無二のパートナーとして、社会の発展に寄与してまいります。

代表取締役社長 清時 康夫

代表取締役社長清時 康夫

代表取締役社長 清時康夫

History 120年のあゆみ

大阪の現場鍛冶として始まった
川岸工業の鉄骨製造は、
九州での事業拡大を経て、
東京を本拠に各地に拠点を構え、
全国の建築とインフラを
支える確かな歩みを刻んできました。
積み上げてきた技術と人の力を礎とし、
これからも次代へつないでまいります。

明治の産業革命を経て近代化へ

川岸工業が創業した明治後期から戦前の日本は、製鉄や造船を中心とする重工業が発展し、第二次産業革命期を迎えていました。鉄骨造建築の登場やアーク溶接技術の伝来により、建築技術は大きく進展します。産業技術の高度化とともに、近代化を支えるインフラ整備や建築事業が本格化していきました。

創業期1906~1946

川岸工業所、大阪で誕生
――そして念願の九州進出

川岸工業の歴史は、1906年3月22日、初代社長・川岸太一郎が大阪市大正区三軒家に「川岸工業所」を創業したことに始まります。

放送局の鉄塔や鉄道橋梁等の現場組立工事などを手がけ着実に技術力を高めた結果、事業の範囲は四国・近畿から新潟へと広がっていきました。一方で、大陸への窓口であり、小倉の軍都化や旧日本製鐵の八幡製鐵所などの工場群の発展が著しかった九州にはなかなか進出できずにいました。

1934年の日本製鐵八幡製鐵所の第一製鋼工場追加鉄骨工事を受注し、ついに念願の九州進出を果たすこととなりました。

戦後から高度経済成長期へ

戦後の日本は朝鮮特需を契機に復興が加速し、インフラ再整備と内需主導の経済成長が進展しました。1950年代には高度経済成長期を迎え、産業活動は量・質ともに拡大し、その勢いは1964年の東京オリンピックで一つの頂点に達します。鉄骨分野でも鋼材規格や建築工事標準仕様書の整備が進み、現在につながる建築技術の基盤が形づくられていきました。

拡大期1947~1963

九州から全国へ――拡大と飛躍の時代

戦後の復興期を経て、川岸工業は九州を拠点に事業基盤を着実に強化していきました。牧山・中井・小倉・日明などに計9工場を稼働させ、地域産業の再興を現場から支えます。なかでも牧山工場は、当時の生産を担う中核拠点でした。

やがて事業は本州へと拡大。下松、福山、大阪、仙台などに工場を新設し、需要の広がりに応えていきました。高度経済成長に沸く首都圏への進出を見据え、1963年には千葉工場(現・千葉第一工場)を新設します。その規模は、当時のメイン工場であった牧山工場と同等という、社運を懸けた計画でした。

この決断にあたり、戸畑工場や日明工場を閉鎖し、そこで働いていた作業員とともに拠点を千葉へ移すという大きな転換を選択します。設備だけでなく、人と技術、現場の経験を丸ごと首都圏へ持ち込むことで、確かな生産力を一気に移植しました。

こうして首都圏進出を果たした川岸工業は、八幡製鐵君津製鐵所建設工事をはじめとする大型需要を捉え、全国規模で事業を展開する企業へと飛躍していきます。

19473 昭和22年 沿革

川岸工業所を法人化し川岸工業株式会社を設立

19473 昭和22年 沿革

戸畑出張所を戸畑支店に昇格
戸畑作業所を拡張し、戸畑工場を設立

19483 昭和23年 沿革

二代目・川岸重義が近鉄奈良線列車暴走追突事故に巻き込まれ逝去

19491 昭和24年 沿革

本社を福岡県戸畑市(現北九州市)に移転
福岡県小倉市(現北九州市)に小倉工場を設立

19529 昭和27年 沿革

工藤栄が三代目社長に就任

1955 昭和30年 工事実績

フイリツピン製鋼工場建屋鉄骨製作

‖川岸工業にとって最初の海外工事の実績です。

19567 昭和31年 沿革

福岡県小倉市(現北九州市)に東港工場を設立
福岡県戸畑市(現北九州市)に沖台工場を設立

19572 昭和32年 沿革

関連会社川岸鉄工株式会社を設立し、東日本での営業を開始
製造は川岸鉄工傘下の仙台工場
東京出張所を神田鎌倉町に開設

195710 昭和32年 沿革

山口県下松市に下松工場を設立
福岡県小倉市(現北九州市)に中井工場を設立

19582 昭和33年 沿革

福岡県福岡市に本社を移転

19582 昭和33年 沿革

福岡県小倉市(現北九州市)に日明工場を設立

1958 昭和33年 工事実績

八幡製鐵戸畑転炉工場鉄骨工事

19593 昭和34年 沿革

福岡県戸畑市(現北九州市)に牧山工場を設立

1959 昭和34年 工事実績

八幡製鐵光鋳造所鉄骨工事

‖下松工場設立の一因となる工事です。

小倉製鉄所転炉工場建屋鉄骨工事

‖九州における鉄骨製造業の代表企業として知られるきっかけとなった工事の一つです。

19606 昭和35年 沿革

広島県福山市に福山作業所を開設

1960 昭和35年 工事実績

ブラジル・ウジミナス製鉄所鉄骨工事

‖日本とブラジルの合弁による国際プロジェクトへの参画です。

1960 昭和35年 工事実績

若戸橋若松側取付橋鉄骨工事

‖九州における鉄骨製造業の代表企業として知られるきっかけとなった工事の一つです。

19618 昭和36年 沿革

川岸鉄工株式会社を吸収合併

1961 昭和36年 工事実績

若松火力発電所タービン室及びボイラー室鉄骨工事他

‖九州における鉄骨製造業の代表企業として知られるきっかけとなった工事の一つです。

19621 昭和37年 沿革

東京証券取引所市場第二部及び福岡証券取引所市場に上場
本社を東京都中央区銀座に移転

19627 昭和37年 沿革

長崎県佐世保市に佐世保工場を新設

196210 昭和37年 沿革

戸畑工場及び日明工場を閉鎖

‖従業員のほとんどは翌年新設した千葉工場に異動しました。

196212 昭和37年 沿革

山口県徳山市(現周南市)に徳山工場を新設し、下松工場から機能移転

19635 昭和38年 沿革

千葉県柏市に千葉工場を新設

昭和40年不況からいざなぎ景気へ

東京オリンピック後の反動を背景に、1965年には昭和40年不況が発生し、企業業績の悪化や設備投資の減少が顕在化しました。しかし不況は短期間で収束し、日本経済はいざなぎ景気へと転じていきます。建築分野では1963年の建築基準法改正により高さ制限が緩和され、都市部を中心に超高層建築の時代が本格的に始まりました。

転換期1964~1971

逆風を越え――再編と再出発の時代

当時の受注は鉄鋼や電力関連の設備投資工事に大きく依存しており、1960年代以降の景気変動によって仕事量が急減する時期が訪れました。急激な事業拡大に伴う過大な設備投資も経営を圧迫し、全社的な再編が避けられない状況となります。

一方で、1963年には建築基準法が改正され、従来の高さ制限31メートルを超える高層ビル建設が可能に。1968年の霞が関ビルディングを皮切りに日本は本格的な超高層建築時代へと踏み出しました。当社も1971年の森永エンゼルプラザービルを手始めに、この新たな潮流へ積極的に参画していきます。

こうした需要構造の変化に対応するため、1963年に千葉工場(現・千葉第一工場)を新設したのを皮切りに、1968年に千葉第二工場、1970年に千葉第三工場、1971年に市原工場と、首都圏における生産拠点の整備を進め、首都圏の供給力を強化しました。さらに西日本でも鉄骨需要が拡大し、大阪工場や福山工場の整備など地域特性に合わせた拠点拡張を進めました。これら全国的な再編と新設工場の整備が、現在につながる生産体制の原型を形づくることとなりました。

1964 昭和39年 工事実績

ホテルニューオータニ新築工事

‖当社でロールH形鋼を使い始めた工事です。

19667 昭和41年 沿革

大阪府羽曳野市に大阪工場を設立

1967 昭和42年 工事実績

日本鋼管福山製鉄所冷延一期鉄骨工事他

‖福山工場設立の一因になる工事です。

川崎製鉄千葉製鉄所鉄骨工事

‖千葉工場設立の一因になる工事です。

19672 昭和42年 沿革

千葉県君津市の八幡製鐵(現日本製鉄)君津製鐵所内に君津工作所を設置

19673 昭和42年 沿革

福山作業所を福山工場に増設・改称

196711 昭和42年 沿革

製作子会社であった牧山工作と小倉工作を統合し、西日本川岸工業株式会社へ改称

‖あわせて九州・四国エリアの営業権および牧山・小倉両工場を譲渡し、当社は九州圏の事業を整理しました。

196712 昭和42年 沿革

広島県広島市に広島支店を開設
大阪府羽曳野市に大阪支店を開設

1968 昭和43年 工事実績

八幡製鐵君津製鐵所冷間圧延設備工場鉄骨工事

‖千葉工場設立の一因になる工事です。

神戸製鋼所加古川工場建屋鉄骨工事

‖大阪工場設立の一因になる工事です。

19684 昭和43年 沿革

千葉県柏市に千葉第二工場を新設

19697 昭和44年 工事実績

川岸会館ビルの落成

19697 昭和44年 沿革

本社を東京都港区新橋の川岸会館ビルに移転

197012 昭和45年 沿革

千葉県東葛飾郡沼南町(現柏市)に千葉第三工場を新設

19718 昭和46年 工事実績

森永エンゼルプラザービル新築工事

‖当社で初めてのBOX造超高層建築鉄骨による工事です。

19719 昭和46年 沿革

君津工作所閉鎖に伴い千葉県市原市に市原工場を新設

1971 昭和46年 工事実績

柏駅東口市街地再開発施設鉄骨工事他

‖基幹工場の所在地に根付いた工事です。

列島改造ブームからオイルショックを
へてバブル景気へ

日本経済は1960年代後半から本格化した超高層建築や都市開発を背景に、大規模開発が進みました。しかし第一次オイルショックを契機に、量的拡大から効率性を重視する方向へと転換します。1980年代には内需主導の景気拡大によりバブル景気を迎え、建築分野では大型化・高層化が進展し、鉄骨にもより高い品質や精度、生産性が求められる時代となりました。

再構築・飛躍期1972~1995

新たな頂へ――再構築からの飛躍の時代

1970年代から80年代にかけて、建築需要の拡大とともに技術革新を進め、国内外で数多くの大型プロジェクトを手がけるようになりました。大型ビルドH形鋼やBOX構造、コラム柱など、時代を先取りした建築技術をいち早く導入し、高層建築や複合施設の鉄骨工事において確かな実績を積み重ねました。

1980年代にはバブル経済を背景に海外案件も拡大し、エジプト・アレキサンドリアナショナル製鉄所をはじめとする大型プロジェクトにも参画。結果、鉄骨生産量で日本一を誇るまでに成長し、技術力と生産体制の強化によって経営は一層安定化し、堅実かつ持続的な成長基盤を築き上げました。

197211 昭和47年 沿革

福島勲が四代目社長に就任

19738 昭和48年 沿革

兵庫県尼崎市に尼崎丸島工場を設立

19755 昭和50年 沿革

岡山県笠岡市に岡山工場を新設し、福山工場から機能移転

1982 昭和57年 工事実績

アレキサンドリアナショナル製鉄所建設工事

‖バブル期の海外受注工事です。

1983 昭和58年 工事実績

イラク合同庁舎鉄骨工事

‖バブル期の海外受注工事です。

19853 昭和60年 沿革

千葉県山武郡松尾町(山武市)に千葉第五工場を新設

19856 昭和60年 沿革

川岸工事株式会社を設立

1986 昭和61年 沿革

千葉第一工場が鉄骨製作工場認定制度で最高位のSグレードを取得

1990 平成2年 工事実績

東京都新庁舎第一本庁舎工事

‖竣工時サンシャイン60を抜いて日本一の高さを誇った新庁舎の建設に参画しました。

19919 平成3年 沿革

茨城県結城郡千代川村(現下妻市)に筑波工場を新設

1994 平成6年 工事実績

恵比寿ガーデンプレイスオフィス棟鉄骨工事(恵比寿ガーデンプレイスタワー)

‖恵比寿の再開発によって誕生した複合都市の中核として、先進的なオフィス機能と都市景観を支えるランドマーク形成に、鉄骨工事で参画しました。

1994 平成6年 工事実績

横浜ランドマークタワー新築工事

‖竣工時、東京都第一本庁舎を抜き、
2012年あべのハルカスの竣工まで日本一の高さを誇った横浜ランドマークタワーの建設に参画しました。

バブル崩壊から建設需要回復へ

バブル崩壊後の日本では、長期的な景気低迷により建設投資が縮小し、鉄骨需要も1990年代を境に減少局面へ転じました。1995年の阪神・淡路大震災を契機に構造安全性への関心が高まり、1990年代後半には法改正や規格整備が進展します。こうした流れの中で、建築・鉄骨分野では、量の拡大を追う時代から、性能と信頼性を重視する段階へと軸足を移し、事業環境が再構築されていきました。
その後も需要は力強さを欠く状況が続きましたが、2013年の東京オリンピック開催決定は市場に新たな動きをもたらし、都市再開発やインフラ整備への投資が活発化しました。建築需要も徐々に回復基調を示すようになります。

確立期1996~2014

新たな基盤へ
――変化の時代を越えて築いた確かな基盤

バブル経済が崩壊した1990年代後半以降、建設投資は減少に転じ、鉄骨需要も急減する厳しい局面を迎えました。

こうした環境の中、当社は拡大路線を抑え、堅実経営へと舵を切りました。1999年の山口工場整備や2011年の千葉第五工場閉鎖など、生産体制の再編を推進。体力維持を最優先とする方針のもと、施策を着実に積み重ね、技術力を蓄積するとともに、それを支える生産体制を構築しました。

この生産体制の構築は、競合他社の淘汰が進む厳しい市場環境の中にあっても、経営基盤を維持する礎となりました。

199612 平成8年 沿革

川岸隆一が五代目社長に就任

19996 平成11年 沿革

山口県下松市に山口工場を新設し、徳山工場から機能移転

200012 平成12年 沿革

千葉第二工場を工場としての操業を中止、千葉第一工場の第二加工場となる

200110 平成13年 沿革

川岸プランニング株式会社を設立

200211 平成14年 沿革

株式会社サクラダと資本・業務提携

2002 平成14年 工事実績

(仮称)丸ノ内ビルヂング新築工事(丸の内ビルディング)

‖日本の建設現場で初めて昼夜交代制(24時間施工体制)を全面的に導入した大規模プロジェクトでした。

200310 平成15年 沿革

山口県下松市の山口工場内に中国支店を開設

‖広島支店は、中国支店に機能移転して広島営業所と改称し、福岡証券取引所での上場を廃止しました。

2004 平成16年 沿革

東京支店と工場の総務・経理等の事務機能を統合、千葉第一工場内に集約

20074 平成19年 工事実績

新丸の内ビル新築工事(新丸の内ビルディング)

‖丸の内の景観と都市機能を支える、超高層複合ビルに鉄骨工事で参画しました。

200711 平成19年 工事実績

東京駅八重洲口開発計画南棟新築工事(グラントウキョウサウスタワー)

‖新幹線が行き交う東京駅八重洲口において、未来を象徴する新たなランドマークの建設に参画しました。

20119 平成23年 沿革

千葉第五工場を閉鎖

2012 平成24年 工事実績

大手町一丁目第2地区再開発事業A棟新築工事(大手町フィナンシャルシティ サウスタワー)

‖ビジネス拠点・大手町の再開発を象徴する超高層オフィスとして、高い耐震性と都市機能を支える建設に鉄骨工事で参画しました。

2012 平成24年 工事実績

新タワー建設工事(東京スカイツリー®

‖電波塔として世界一の高さを誇る、日本を代表するランドマークの鼎に鉄骨工事で参画しました。

20139 平成25年 沿革

大阪支店を中国支店に統合

20144 平成26年 沿革

中国支店を西日本支店に改称

建設需要の拡大から現在へ

東京オリンピック開催決定を契機に、建設投資と再開発需要は回復基調を強め、都市機能の高度化を目指す動きが加速しました。大会関連施設や都市インフラ整備が需要を押し上げる一方、建設業界では労働人口の減少と高齢化が顕在化します。量的回復と構造的課題が併存する中、効率化や技術革新への対応に加え、持続可能な人材確保や働き方改革が重要なテーマとなりました。こうした環境の中で、建設業界は安全・品質・環境配慮といった社会的要請にも応えながら、質的深化を伴う次なる成長段階へと移行しつつあります。

進化期2015~2026

さらなる高みへ
――確立した基盤を礎に進化する企業

2015年以降、建設需要が回復基調を示すなか、当社は確立された生産体制と技術力を礎として、さらなる高度化を進めました。省力化技術の導入や設備更新、技術継承が段階的に実施され、対応可能な工事領域が拡大しました。

新国立競技場や麻布台ヒルズといった高難度案件への参画は、これらの取り組みの延長線上に位置づけられるものであり、当社の技術的評価を高める結果となりました。

2023年には、外部より招聘された清時康夫が七代目社長に就任しました。これまでに培われた基盤を礎に、外部視点を取り入れた組織改革と体質改善が進んでおり、経営基盤のさらなる強化と、持続的成長へ向けた体制づくりに取り組んでいます。

201512 平成27年 沿革

金本秀雄が六代目社長に就任

2019 平成31年 工事実績

新国立競技場整備事業(第Ⅱ期工事)

‖「杜のスタジアム」のコンセプトを掲げ、鉄骨と木材のハイブリッド構造の屋根を持つ国際競技場です。

2020 令和2年 沿革

千葉第一工場の再整備を実施、事務所棟及び加工棟を新設

2021 令和3年 工事実績

大手町二丁目常盤橋地区第一種市街地再開発事業A棟新築工事(常盤橋タワー)

‖東京駅前の景観を一新し、現在の大手町地区で最も高いビルとなる常盤橋タワーの建設に、鉄骨工事で参画しました。

20224 令和4年 沿革

東京証券取引所の市場見直しにより、東京証券取引所スタンダード市場に移行

20227 令和4年 沿革

筑波工場がPC部材品質認定制度でH認定を取得

202210 令和4年 沿革

川岸工事株式会社を吸収合併

2023 令和5年 工事実績

虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業施設建築物A街区(麻布台ヒルズ森JPタワー)

‖高さ300mのあべのハルカスを抜き、2026年3月現在日本一の高さを誇る超高層ビルの建設に参画しました。

2023 令和5年 工事実績

勝どき東地区第一種市街地再開発事業施設建築物A1地区新築工事(パークタワー勝どきサウス)

‖超高強度コンクリート(Fc=100N/mm²)を用いたPC製品を供給し、都心有数の超高層タワーマンションの実現に参画しました。

202312 令和5年 沿革

清時康夫が七代目社長に就任

2024 令和6年 工事実績

梅田3丁目計画建設工事(JPタワー大阪)

‖大阪ステーションシティを構成するビルのひとつで、初代大阪駅の跡地に建つ新たな大阪の起点となるランドマークの建設に参画しました。

2026322 令和8年

創業120周年

120TH ANNIVERSARY KAWAGISHI

Our History in Data 数字で振り返る120年

時代ごとの変遷をデータで振り返ります。
施工実績や拠点、働く現場の変化から、積み
重ねてきた歩みを感じていただけます。

施工実績累計数

創業以来、川岸工業が積み重ねてきた
施工実績は
8,814件。
その一件一件が、信頼と技術の歩みを
物語っています。

8,814

累計受注重量

120年の歩みの中で受注してきた鉄骨の
累計重量は
5,315,725トン。
見えない部分で都市を支えてきました。

5315,725t

例えば…東京スカイツリー®(36,000トン/基)
が約150基分
高さ方向に換算すると約95km。
大気圏が100kmなので大気圏突破間近!

作業服の変遷

創業期の法被から作業服へ、そして120周年を機に刷新された現在の作業服へ。
3つの姿に、現場の進化と働く人の想いが映し出されています。

120年間で3

創業期の法被

初代社長・川岸太一郎の『太』の字を背負い、時代の熱と現場の矜持を伝えてきた法被

2024年まで使用された作業服

1956年の作業風景でも確認される、
2024年まで現場を支え続けた作業服

創立120周年を記念して作製された現在の作業服

創立120周年を記念し、若手社員を中心に現場の声を取り入れ選定・製作した、次の100年を共に歩む作業服

首都圏超高層ビル高さランキングTOP30に見る
当社の参画割合

首都圏の超高層ビル高さランキングTOP30のうち、25件に川岸工業が参画。
日本を代表する超高層建築の多くに、当社の鉄骨技術が活かされています。

円グラフ 首都圏の超高層ビル高さランキングTOP30のうち25件に川岸工業が参画

順位 ビル名 高さ 階数 完成年
1位 麻布台ヒルズ森JPタワー 325.49m 64階 2023年
2位 横浜ランドマークタワー 296m 70階 1993年
3位 虎ノ門ヒルズ ステーションタワー 265.75m 49階 2023年
4位 TOFROM YAESU TOWER 249.72m 51階 2026年
5位 ミッドタウン・タワー 248.1m 54階 2007年
6位 虎ノ門ヒルズ 森タワー 247m 52階 2014年
7位 東京都庁第一本庁舎 243.4m 48階 1991年
8位 NTTドコモ代々木ビル 239.85m 27階 1997年
9位 サンシャイン60 239.7m 60階 1978年
10位 東京ミッドタウン八重洲
八重洲セントラルタワー
238.2m 45階 2022年
11位 六本木ヒルズ森タワー 238.06m 54階 2003年
12位 新宿パークタワー 235m 52階 1994年
13位 BLUE FRONT SHIBAURA TOWER S 235m 43階 2025年
14位 東京オペラシティ 234.371m 54階 1996年
15位 住友不動産 六本木グランドタワー 230.76m 43階 2016年
16位 渋谷スクランブルスクエア 229.706m 47階 2019年
17位 東急歌舞伎町タワー 225m 48階 2023年
18位 新宿三井ビルディング 223.6m 55階 1974年
19位 新宿センタービル 222.95m 54階 1979年
20位 聖路加タワー 220.63m 51階 1994年
21位 汐留シティセンター 215.75m 43階 2003年
22位 住友不動産 東京三田ガーデンタワー 215m 42階 2023年
23位 電通本社ビル(カレッタ汐留) 213.337m 48階 2002年
24位 常盤橋タワー 212m 40階 2021年
25位 新宿住友ビル 211.381m 52階 1974年
26位 新宿野村ビル 209.9m 50階 1978年
27位 東京ワールドゲート赤坂
赤坂トラストタワー
209.14m 43階 2024年
28位 東京ポートシティ竹芝 オフィスタワー 208.83m 40階 2020年
29位 赤坂インターシティAIR 205.08m 38階 2017年
30位 グラントウキョウサウスタワー 205m 42階 2007年

※自社調べ。首都圏のみを抜粋、鉄骨造の高層建築に限る(2026年2月現在)。

工場変遷

工場配置の変遷を4つの時代で可視化しました。
時代の要請に応え拡大と再編を重ねながら築いてきた生産体制の歩みです。

初めての工場

1947年 1工場

九州:
戸畑工場

拡大期

1962年 12工場

九州:
戸畑工場/小倉工場/沖台工場/東港工場/中井工場/日明工場/牧山工場/剪断工場/佐世保工場
中国:
下松工場/福山作業場
東北:
仙台工場

再構築期

1991年 9工場

関東:
千葉第一工場/千葉第二工場/千葉第三工場/市原工場/
千葉第五工場/筑波工場
中国:
徳山工場/岡山工場
近畿:
大阪工場

現行体制

2025年 6工場

関東:
千葉第一工場/千葉第三工場/筑波工場
中国:
山口工場/岡山工場
近畿:
大阪工場

創業120周年記念座談会

Our Voice 社員の声

120周年の節目に社員へ聞いた、日々の仕事へ
の想いと未来へつなぐ言葉をご紹介します。

Q あなたが思う「川岸工業らしさ」は?

団結力
「やる時は一丸となる結束力」

ブレないこと

「まず確認」
いつまでも初心を忘れないこと

あきらめない

日本のインフラを支える
歴史、技術力

どんなに試練があろうと、
必ずやり遂げる力がある

鉄骨製品が芸術的に美しい

一人ではなく、皆で支え合い、
仕事に向き合う
会社だと思います

Q 仕事をしていて「やっててよかった!」
と感じた瞬間は?

仲間との結束力が
感じられたとき

初めて職長を務めた
建物を訪れたときは言葉に
できない感動を覚えました

建築に携わった建物が、
多くの人に利用されているのを
見たとき

部下が指示をせずとも
行動していたとき

BOXのコ型検査で、
川岸工業が一番良くできていると言われたとき

材料が思った通りの
高い精度で切断できたとき

地図の残るプロジェクトに
参加し無事完工したとき

顧客から「大変だったけど皆様のおかげで工事完了を迎えました。また今後も一緒に仕事したい」と言われたとき

仲間と一緒に
感じられたとき

定年退職される上司に有給消化を
勧めたところ「君には世話になったから
残りの時間は全て君のために使うつもりだよ」
と言っていただいた。
自分の今までの努力を認めていただいた
気がしてとても嬉しかったのを
鮮明に覚えています。

難しい物件でも皆で努力すれば、
いつかは立ち上がり、
完成したものを見るとモノづくりに
携わる仕事に就けていることに
感動します

Q 未来の後輩たちに伝えたいことは?

どんな人にでも
自分に持っていない良さがある。
思いやりと笑顔を大切に

「鉄は熱いうちに打て」の精神で
挑戦を恐れず冒険を楽しんで欲しい、
人生の主役は自分だということを
忘れないで欲しい、続けていれば
必ずいいことがあります

気づきや意見は勇気がいるがどんどん
積極的に言語化していこう!
また失敗しても学ぶことが多くあるので
恐れず挑戦していこう!

必ずまわりに
頼れる仲間がいます

形に残る仕事は
誇らしいです

川岸工業で一緒に
日本の未来をつくろう

大変な思いをするかも
しれませんが、経験こそ自身
を成長させるかけがえのない
財産です

ものづくりはロマンと
やりがいのある仕事です

心躍る、
次の100年に向けて

創業から積み重ねてきた川岸工業の120年の歩みは、地盤を固め、基礎を築き、より高く、
より大きな鋼構造物へ挑戦してきた、誇り高きモノづくりの歴史です。

幾多の風雪や震災にさらされながらも人々の暮らしを守ってきた柱や梁には、技術と品質、
社員をはじめ、この120年に川岸工業に関わってきたすべての人々の想い、
そしてお客様からの信頼がしっかりと刻まれています。

これからの100年は、高さや大きさだけではなく、街を形づくり、
人々が安心して集える空間を創造する、新たな都市価値を届けていく旅となるでしょう。

変化の波が押し寄せる時代の中でも、私たちは「鉄骨で日本を支える」という誇りを胸に、
前へ進み続けます。

まだ誰も見たことのない景色への旅。わくわく・どきどきするような、新しい技術、
新しい価値観、そして新しい仲間との出会いが待っています。

挑戦を恐れず、変化を楽しみながらモノづくりを育て、鉄骨で次世代に誇れる未来を支える
——川岸工業は次の100年に向けて動き出しています。

19063 明治39年 沿革

初代社長・川岸太一郎
――大阪での挑戦、「川岸工業所」創業

川岸太一郎は、1882年5月奈良県五條市に生まれました。青年期に大阪に居を移し、気さくで面倒見の良い人柄から、多くの人々に慕われました。

のちにその人柄を慕う人々が太一郎のもとに集い、1906年3月22日、建築請負業「川岸工業所」を創業します。創業当初は加工場を持たず、鳶職や現場鍛冶、焼鋲などの請負を中心に事業を展開していました。

現在のロゴマーク「TK」は、創業者・川岸太一郎の頭文字に由来しています。九州進出という念願を果たしたのち、1941年に59歳でその生涯を閉じました。

川岸太一郎
初代社長・川岸太一郎

1934 昭和9年 工事実績

八幡製鐵所第一製鋼工場追加鉄骨工事
――念願の九州進出

施主や各建築業者の支援を受けながら、本州各地で着実に実績を重ね事業基盤を広げていきました。しかし、当時発展著しかった九州への進出は、長らく実現できずにいました。

1934年に八幡製鐵所第一製鋼工場追加鉄骨工事を請け負い、ついに念願の九州進出を果たします。以降、海軍鹿屋航空隊第一期格納庫新築工事や八幡製鐵所第四製鋼工場第二期増築鉄骨工事などを次々と受注し、九州での信頼と地歩を確立しました。やがて福岡県戸畑市に出張所を設け、九州拠点の礎を築きました。

八幡製鐵所
八幡製鐵所

19365 昭和11年 沿革

九州の地に初の工場
――戸畑から始まった生産の歩み

当社の工場の歴史は、1936年に戸畑市中原(現・北九州市戸畑区)の出張所裏に設けた作業場に始まります。これは、九州進出に伴って設置したもので、当時はまだ簡易的な作業場でした。その後、1947年に出張所が支店へ昇格したことを契機に、この作業場は本格的に工場として整備されました。

設立当初の生産能力は月産約300トンとされていますが、のちに従業員約250人、月産1,200トンを誇る規模へと発展しました。その後、千葉工場の設立にあわせて戸畑工場は閉鎖され、多くの従業員が千葉工場へと移りました。

写真左が寮、右が事務所、奥に工場
写真左が寮、右が事務所、奥に工場が見える
  • 工事中の勝鬨橋
    工事中の勝鬨橋
    写真:東京都建設局所蔵
  • 建設中の信濃川千手発電所
    建設中の信濃川千手発電所
    資料提供:JR東日本
小倉工廠本館
小倉工廠本館
資料提供:田邉貴教様

194112 昭和16年 沿革

二代目・川岸重義
――会社を近代化した社長

川岸重義は、初代社長・川岸太一郎の長男として、1911年3月、大阪市東区空堀町に生まれました。大阪市立都島工業学校土木科(現・大阪府立都島工業高等学校)を卒業後、公務員勤務を経て、川岸工業所に入社しました。

太一郎の逝去に伴い、30歳で社長に就任。在任中は、会社の近代化と事業基盤の強化に尽力し、個人経営を法人化して1947年3月22日に「川岸工業株式会社」を設立しました。しかし、会社設立翌年の1948年に、近鉄奈良線列車暴走追突事故に巻き込まれ、37歳で急逝しました。そのため、妻の川岸文子が二代目代行となりました。

川岸重義
二代目・川岸重義

19473 昭和22年 沿革

法人化による近代化
――株式会社としての始まり

戦後の事業近代化を図り、個人経営から株式会社へと改組して、1947年3月22日、「川岸工業株式会社」が設立されました。

この時期、大阪を中心とした本州・四国方面の事業を二代目・川岸重義が統括し、九州の業務は義弟で常務の工藤栄が総括する二拠点体制で会社運営していました。同年発行の「大阪商工会議所 大阪商工会名録 昭和22年版」には、川岸工業のほか、現在の大手鉄骨ファブリケーターに繋がる企業の名も見られ、戦後の建設業界が再び動き出す時代であったことがうかがえます。

大阪商工会議所 大阪商工会名録 昭和22年版に掲載されている当社
「大阪商工会議所 大阪商工会名録 昭和22年版」当社掲載ページ

19529 昭和27年 沿革

三代目・工藤栄
――全国区鉄骨企業への成長を支えた社長

工藤栄は、1914年に香川県白鳥町(現・東かがわ市)で生まれました。1932年に旧制大川中学校(現・県立三本松高校)を卒業後、1933年に川岸工業に入社。入社後、初代社長・川岸太一郎の娘と結婚しています。

1936年、福岡県戸畑市に出張所を開設すると所長として赴任。以後、戦前・戦後の北九州での業務を多く手がけ、経験を積みました。

1952年、二代目代行・川岸文子の後を受け、実務全般を担ってきた工藤栄が三代目社長に就任しました。在任中は高度経済成長期の追い風を受け、事業拡大路線を推進。九州、宮城、中国、大阪、関東など、需要が見込まれる地域に次々と工場を設立し、川岸工業を全国区の鉄骨製作企業へと押し上げました。

工藤栄
三代目・工藤栄
沖台工場での作業風景
沖台工場での作業風景
出典:岩波書店『日本の地理 第7巻』
牧山工場
牧山工場
出典:戸畑市史

1960 昭和35年 工事実績

ブラジル・ウジミナス製鉄所鉄骨工事
――国際プロジェクトへの挑戦

日本とブラジル両政府が推進する国家プロジェクトとして計画されたブラジル・ウジミナス製鉄所の建設は、当時日本最大規模のプラント輸出といわれ、大きな注目を集めていました。

各社の注目が集まる中、日本側投資会社「日本ウジミナス株式会社」の中心であった八幡製鐵や富士製鐵の関連工事を川岸工業が数多く手がけ、技術力と信頼を築いてきた実績が評価され、工事の受注に至りました。このプロジェクトを通じて海外での施工経験をさらに積み重ね、技術力と信頼を一層強化する契機となりました。

19635 昭和38年 沿革

千葉工場
――首都圏進出の拠点となる大型工場を建設

高度経済成長に沸く首都圏での鉄骨需要の拡大と八幡製鐵君津製鐵所建設工事の受注を見据え、1963年、社運を懸けて千葉に大型工場を建設しました。

その生産能力は当時の主力・牧山工場と並ぶ月産2,500トンを誇り、首都圏での本格的な事業展開を支える拠点となります。以来、千葉工場(現・千葉第一工場)は当社の中核を担う主力工場として、東京スカイツリー®や常盤橋タワーなど、時代を象徴する数々の高層建築に携わってきました。創業から培った技術と信頼を礎に、いまもなお首都圏の発展を支え続けています。

  • 建設中の千葉工場
    建設中の千葉工場
  • 現在の千葉第一工場
    現在の千葉第一工場

左 建設中の千葉工場 右 現在の千葉第一工場

1964 昭和39年 工事実績

ホテルニューオータニ――ロールH形鋼を用いた
先駆的高層建築への挑戦

1964年の東京オリンピックに際し、外国人来訪者の受け入れ施設として計画・建設されたホテルニューオータニは、当時としては国内最高層の17階建てビルディングでした。

この工事では、1959年に国内製造が始まったロールH形鋼が主要構造材として採用されており、当社も初めてこの新しい鋼材を用いた鉄骨製作を手がけました。高層建築技術が急速に発展する時代の中で、当社にとって技術革新に挑む象徴的な工事となりました。

ホテルニューオータニ
建設中のホテルニューオータニ
資料提供:株式会社ニュー・オータニ

19667 昭和41年 沿革

西日本生産体制の強化
――大阪・中国地方への展開

1960年代後半、大阪万博の開催や神戸製鋼所の製鉄所建設などにより、西日本地域では鉄骨需要が急増しました。当社はこの需要を見込み、羽曳野市にあった鉄工所の工場を買収して大阪工場を設立しました。同時期、日本鋼管福山製鉄所の需要に対応するために開設した福山作業所は、業容の拡大に伴い工場へと昇格しました。

さらに、広島支店と大阪支店を新設することで営業基盤を確立し、西日本全体をカバーする生産体制を構築しました。

大阪工場
現在の大阪工場
  • 日本鋼管福山製鉄所
    日本鋼管福山製鉄所
  • 川崎製鉄千葉製鉄所
    川崎製鉄千葉製鉄所
  • 八幡製鐵君津製鐵所
    八幡製鐵君津製鐵所
  • 神戸製鋼所加古川工場
    神戸製鋼所加古川工場

19684 昭和43年 沿革

東京進出による生産拠点の確立
――現在の工場配置の原型が形づくられた時期

東京への進出により、ビル鉄骨の受注が拡大していく一方で、長年にわたり培ってきた鉄鋼・電力関連の設備投資工事における強みと信頼は揺らぐことがありませんでした。京葉・京浜地区では引き続き高い需要があり、八幡製鐵君津製鐵所や川崎製鉄千葉製鉄所などで鉄骨工事を受注しています。

こうした需要の高まりに対応するため、1968年に千葉第二工場を、1970年には千葉第三工場を設立しました。さらに、新日本製鉄君津製鉄所所内の君津工作所の閉鎖に伴い、1971年には近隣の市原市に市原工場を新設しました。これら一連の拡張によって、現在の川岸工業鉄骨工場の配置の原型がこの時代に形づくられていきました。

第二加工場
現在の第二加工場(旧千葉第二工場)

19697 昭和44年 工事実績

本社ビル
――本社機能の拡充に伴う川岸会館の建設と移転

千葉工場や千葉第二工場の設立により首都圏での生産体制が整うと、東京での営業活動も急速に拡大しました。その需要拡大に伴い、本社機能の強化が急務の課題となりました。

これを受けて、東京都港区東新橋に「川岸会館ビル」を建設し、本社を銀座から移転しました。この移転は、東京を中心とした事業展開をさらに加速させる拠点整備の一環であり、首都圏での成長基盤を確立する大きな節目となりました。

川岸会館
現在の川岸会館
千葉第三工場
現在の千葉第三工場

19718 昭和46年 工事実績

森永エンゼルプラザービル新築工事
――BOX造による超高層建築への第一歩

創業75周年の記念事業として、森永製菓は新本社ビルの建設を計画しました。当時、東京都内で5番目の高さを誇るBOX造の超高層ビルとして注目を集めました。

当社は、この計画以前にも2件のBOX造鉄骨を手がけていましたが、超高層ビルへの採用は本工事が初めてでした。難易度の高い構造でしたが、当社は持ち前の製作技術を最大限に発揮し、高い精度と品質の両立を実現。この工事は、当社が国内有数のBOX造鉄骨製作メーカーとして歩み始める転機となった記念すべき案件です。

森永エンゼルプラザービル
建設中の森永エンゼルプラザービル
出典:横河橋梁技報 第2号 1972年11月発行 3ページ

1971 昭和46年 工事実績

柏駅東口市街地再開発施設鉄骨工事他
――地域発展に寄与した柏駅周辺再開発への参画

柏市では、急激な人口増加に対応するため、駅周辺の大規模な再開発が進められました。当社は、柏に3つの工場を有していたことから、これらの再開発計画の多くに参画しました。

主な施工実績には、日本で初めて駅前に設置された高架歩道(ペデストリアンデッキ)である「ダブルデッキ」をはじめ、柏駅駅舎、柏そごう本館、柏高島屋、日本屋ビル、イトーヨーカドー、長崎屋などがあります。

再開発工事中の風景
再開発工事中の風景
出典:柏市教育委員会

1972 昭和47年 沿革

四代目・福島勲
――堅実経営で再建を果たし、鉄骨生産量日本一へ導いた社長

福島勲は、旧制東京工専(現・千葉大学工学部)を卒業後、間組を経て日本発送電(のちの九州電力)に勤務しました。

川岸工業が受注した工事を通じて当時の社長・工藤栄と出会い、手腕と人柄、才能を高く評価され、工藤の長女と結婚。その後1957年に川岸工業へ入社しました。

入社直後に東京出張所長および川岸鉄工副社長に就任し、後に東京支店長として東日本での基盤を築きました。社長就任後は負債を圧縮し、無借金経営と称される堅実な体質を確立。70~80年代には新技術の導入で高層建築の実績を重ね、エジプト等の海外大型案件にも参画しました。

結果として鉄骨生産量日本一を達成し、経営の安定と持続的成長の基盤を築き上げました。

福島勲
四代目・福島勲
  • 竣工時の岡山工場
    竣工時の岡山工場
  • 現在の岡山工場
    現在の岡山工場

1982 昭和57年 工事実績

国際舞台への挑戦
――技術と信頼で築いた実績

1980年代に入り、バブル景気を迎えると、当社は国内の建設工事に加え、海外での鉄骨工事も数多く手がけるようになりました。

当社の海外工事への進出は、1955年のフィリピン製鋼工場や1960年のブラジル・ウジミナス製鉄所の鉄骨工事など、比較的早い時期から始まっていましたが、当初は受注量も限られていました。
しかし、バブル期に入ると海外案件が急増し、エジプト・アレキサンドリアナショナル製鉄所の建設工事やイラク合同庁舎鉄骨工事などの海外の大型プロジェクトを通じて、技術力と信頼をさらに確かなものとしました。

アレキサンドリアナショナル製鉄所
建設中のアレキサンドリアナショナル製鉄所
イラク合同庁舎
建設中のイラク合同庁舎

1986 昭和61年 沿革

千葉第一工場Sグレード認定取得
――高品質を維持し続ける鉄骨製作体制

高層建築や大型建築の増加に伴い、鉄骨製造に求められる品質の水準は年々厳しくなっていました。こうした背景のもと、鉄骨製作工場が適正な品質の建築鉄骨を生産・供給できることを証明する制度として、国土交通大臣による鉄骨製作工場認定制度が開始されました。

この認定制度における最高位がSグレードです。建築規模の制限なく高品質な鉄骨を提供できる工場として、高度な技術力と設備、品質管理体制が求められます。

当社の千葉第一工場は、この制度においていち早く最高位のSグレードを取得。現在に至るまでその最高位を維持し続け、日本を代表する超高層ビルや大空間建造物に携わっています。

Sグレード認定証
高品質な鉄骨製作体制を証明するSグレード認定証

1990 平成2年 工事実績

技術と信頼で鉄骨生産量日本一へ
――超高層建築で示した力

東京を中心に数多くの超高層建築案件に参画する中で、当社は次第に鉄骨製作分野で国内有数の企業へと成長しました。

その象徴的なプロジェクトが、東京都第一本庁舎(高さ243メートル)です。竣工時にはサンシャイン60を抜き、日本一の高さを誇る超高層ビルとして注目を集めました。こうした実績の積み重ねにより、当社は技術力と信頼を確立し、この時期、鉄骨生産量で日本一となりました。

東京都第一本庁舎
東京都第一本庁舎

19919 平成3年 沿革

新たな領域への挑戦
――プレキャストコンクリート(PC)分野への進出

当社はそれまでの鉄骨専業体制から一歩を踏み出し、筑波工場を設立してプレキャストコンクリート(PC)分野へと進出しました。

鉄骨と同じ建築関連製品の製造でありながら、異なる分野への展開は、生産技術の幅を広げる新たな挑戦でもありました。この多角化によって、堅実な経営基盤のもとに技術力をさらに高め、より強固で安定した生産体制を確立しました。

筑波工場
現在の筑波工場
横浜ランドマークタワー
建設中の横浜ランドマークタワー

199612 平成8年 沿革

五代目・川岸隆一
――鉄骨需要減少期を切り抜けた社長

川岸隆一は、奈良県生駒市で幼少期を過ごしましたが、早くに父を亡くし、叔父の工藤栄を頼って九州で成長しました。

明治大学を卒業後、1963年に川岸工業へ入社し千葉工場に勤務。1979年に千葉第三工場長として取締役に就任し、1982年営業部長、1993年常務を経て、1996年に社長に就任しました。

社長在任中は鉄骨需要が低迷する厳しい時代でしたが、生産調整と堅実な経営により企業を安定させました。

川岸隆一
五代目・川岸隆一
山口工場
現在の山口工場

2002 平成14年 工事実績

短納期という挑戦
――技術と信頼で築いたランドマーク施工

戦前期では日本最大のビルであり、「東洋一のビル」と称された丸ノ内ビルヂングの建替えは、日本の建設現場で初めて昼夜交代制を全面的に導入した大規模プロジェクトでした。

従来の昼間施工に比べて短納期が強く求められる工事でしたが、当社は持てる機動力と高度な鉄骨施工技術を駆使して対応しました。

1999年に着工し、2002年に竣工。延床面積約4万平方メートルに及ぶ本建物は、低層部に旧丸ノ内ビルヂングの意匠を継承しつつ、高層部に最新の構造技術を取り入れた超高層ビルとして完成しました。

丸の内ビルディング
丸の内ビルディング

2012 平成24年 工事実績

技術力の証
――東京スカイツリー®で示した挑戦と信頼

高さ634メートル、自立式電波塔として世界一の高さを誇る東京スカイツリーの建設プロジェクトに参画。当社はタワー全体を支える基礎部にあたる鼎(かなえ)部分の鉄骨製作を担当しました。

ここでは、標準的な鉄骨の約2倍の強度を持つ「高強度鋼管」が採用され、直径2.3メートル、板厚100ミリという巨大かつ極厚の部材を高精度で製作する、極めて難易度の高い技術が求められました。本プロジェクトは、当社の技術力を示す絶好の舞台となりました。

2008年に着工し、2012年に竣工した東京スカイツリーは、完成後、地域と日本を代表するランドマークとして親しまれています。

東京スカイツリー
東京スカイツリー®

201512 平成27年 沿革

六代目・金本秀雄
――持続する製造体制を築いた社長

金本秀雄は、昭和25年に北九州市で生まれ、九州工業大学を卒業後、1973年に川岸工業へ入社しました。千葉第一・徳山両工場や工務部で経験を積み、千葉第五工場の新設にも管理課長として参画しています。

その後、各工場長、工務部長、製造本部長を歴任し常務取締役に就任。中国支店長、専務取締役西日本地区担当を経て2015年に社長に就任しました。就任後は人材確保が難しくなる業界環境の中で、省力化技術の導入や工場設備更新を進め、技術継承にも力を注ぎました。

金本秀雄
六代目・金本秀雄

2019 平成31年 工事実績

新国立競技場
――国家プロジェクトを支えた確かな鉄骨技術

東京オリンピック・パラリンピックの主会場として建て替えが進められた新国立競技場は、「杜のスタジアム」のコンセプトを掲げ、鉄骨と木材のハイブリッド構造が注目されました。

当社もこの難易度の高い工事に参画し、3DCADなどの新技術を活用して精度の高い製品を供給しました。2016年に着工し、2019年に竣工した競技場は、東京2020オリンピック・パラリンピックで多くの人に感動を与えました。

新国立競技場︎
新国立競技場︎
常盤橋タワー
常盤橋タワー
H認定証
高品質なプレキャストコンクリートを製作できることを証明するH認定証
麻布台ヒルズ森JPタワー
麻布台ヒルズ森JPタワー

202312 令和5年 沿革

七代目・清時康夫
――外部視点で組織改革を進める社長

清時康夫は、慶應義塾大学を卒業後、1979年に丸紅へ入社し、鉄鋼分野を中心に商社で幅広い実務経験を積みました。その後、伊藤忠丸紅テクノスチール株式会社の鉄構建材部で当社との関係が生まれ、当社の社外役員も務めています。

2022年に顧問として当社へ着任し、同年に常務取締役、翌2023年に社長に就任しました。就任後は、社内で長年見過ごされてきた慣習や非効率に着目し、2024年には第1次中期経営計画を策定・公表するなど、外部出身ならではの視点と実務感覚を生かして、組織全体の改善と活性化に取り組んでいます。

清時康夫
七代目・清時康夫
JPタワー大阪
JPタワー大阪
グラントウキョウサウスタワー
グラントウキョウサウスタワー
パークタワー勝どきサウス
パークタワー勝どきサウス
新丸の内ビルディング
新丸の内ビルディング
恵比寿ガーデンプレイスタワー
恵比寿ガーデンプレイスタワー
大手町フィナンシャルシティ サウスタワー
大手町フィナンシャルシティ サウスタワー

200310 平成15年 沿革

組織体制の集約と拠点再編
――管理機能の統合による効率化の推進

需要低迷が続く経営環境のもと、当社では管理機能の集約と拠点体制の見直しを段階的に進めました。

2004年には、東京支店と各工場に分散していた総務・経理業務を統合し、千葉第一工場の敷地内へ集約しました。これにより、管理部門の効率化と意思決定体制の明確化が図られました。

西日本においては、2003年に広島市に所在していた広島支店を山口工場敷地内へ移転し、中国支店へ改称しました。さらに2013年には大阪支店を中国支店に統合し、拠点機能の集約を推進しました。翌年の2014年には同支店を西日本支店へ改称し、西日本エリアにおける体制整備を完了しています。

2020 令和2年 沿革

千葉第一工場の再整備
――設備更新による生産基盤の強化

1963年の設立以来、同地で操業を続けてきた千葉第一工場は、築50余年を経て、建物および設備の各所に老朽化がみられる状況となっていました。

こうした課題に対応するため、省力化設備の導入と既存設備の更新が進められました。2017年には、新たなBOX角継手専用二電極サブマージアーク溶接装置を増設しています。

さらに2020年には工場敷地の再整備を実施し、事務所棟および加工棟を新設しました。これらの取り組みにより、生産環境の改善と基盤機能の強化が図られています。

事務所棟
事務所棟

19473 昭和22年 沿革

地域生産体制の確立と工場網の拡大
――九州・中国地方への拠点展開

北九州地区では、戦後復興に伴い工場群の再整備が進み、建築需要が高まりました。これに対し当社は、需要が見込まれる地域へ順次生産拠点を設け、迅速な製品供給体制の構築を進めました。

その取り組みは、1947年の戸畑工場設立に始まり、九州地区における9工場体制の確立へと発展します。

さらに中国地方へも展開し、八幡製鐵光鋳造所の鉄骨工事受注を契機に、1957年には下松工場を新設しました。同工場は後の山口工場へと発展しています。続いて1960年には福山製鉄所向けの対応強化として福山作業所(後の岡山工場)を開設し、地域に根ざした生産体制を確立しました。

  • 牧山工場
    牧山工場
八幡製鐵戸畑製鉄所
八幡製鐵戸畑製鉄所
若戸大橋
若戸大橋
若松火力発電所
若松火力発電所 ©電源開発株式会社