モノづくりを通じて人と社会に貢献する創業の精神は、脈々と受け継がれています。
川岸工業の設立は1906年(明治39年)、2026年に創業120周年を迎えます。日本の近代化が加速していた草創期から、第二次世界大戦など幾多の戦争を経験し、昭和の高度経済成長期、そして現代へと激動の時代を乗り越えてまいりました。
人の営みと社会を支えるインフラ、建築事業に携わることに誇りをもち、高度化、多様化するニーズに一つひとつ応えるその姿勢は、いかなる時代も変わりません。この当社の発展の歴史は、お客様の信頼と社員の情熱によって支えられています。
川岸工業のロゴマーク「TK」は、創業者・川岸太一郎のイニシャルが由来です。創業より受け継がれる、不屈のフロンティア精神は現在の川岸工業にも脈動しています。
1900年代初頭、明治後期の日本の第二次産業革命では、製鉄、造船など重工業が発展。
当社は、近代化へ向かう日本で本格化する
さまざまなインフラ整備、建築事業に携わり
技術を磨きました。
川岸組、大阪で誕生
1906年(明治39年)3月、川岸太一郎が鉄工業を営む川岸組を大阪で組織。当社の歴史は始まります。
大正から昭和の初めにかけて、放送局の鉄塔、鉄道の橋梁、石油タンクの現場組立工事、国会議事堂などを手がけ、1947年(昭和22年)には川岸工業株式会社を設立しました。
念願の九州進出
技術力と生産力を上げ、四国近畿から新潟まで仕事の範囲を広げるまでに。海軍航空隊格納庫の工事を受注し、念願の九州へ進出します。
1949年(昭和24年)現在の北九州市戸畑区に本社を移し、鉄骨工場を建設。その年の年末、九州電力の大分発電所が火災により崩壊した際、川岸工業は復旧工事を無償で請け、1カ月以上を要する工期を1週間で完了させます。これがきっかけとなり、九州電力の鉄骨をほぼ請け負うようになりました。
一躍九州の雄となる
1958年(昭和33年)には本社を福岡に移転。現日本製鉄、九州電力の鉄骨工事を次々と受注します。至難とされる工事も積極的に参画。九州出張所を設立し、一躍九州の雄となりました。
二度の世界大戦を経て戦後の復興に伴い、1950年代から日本は高度経済成長期へ。西日本での実績を礎に
首都圏へと進出し、大規模建築を手がけながら鉄骨事業で確固たる地位を築いていきます。
首都圏進出
西日本の多くの建設事業、朝鮮・フィリピン向け輸出プラント事業などに参画し、質量共に実績を積み重ね、1962年(昭和37年)に東京証券取引所市場第二部(スタンダード市場に相当)および福岡証券取引所市場に上場。
同年東京に本社を移転し、関東での事業を本格的に始めます。翌年には、まだ野原が広がっていた千葉県柏市に、首都圏での超高層建築需要を見込んで、千葉第一工場を新設。その際、社員は九州から一家総出で移り住み、不退転の覚悟で新天地で新たな挑戦を始めました。
超高層建築時代の幕開け
1960年代は、建築基準法など制度や法律の改正が行われ、それまでの高さ制限31mを超える高層ビルの建築が可能になりました。
1965年の霞が関ビルを皮切りに、その2年後には世界貿易センタービルディングが着工し、本格的な超高層建築時代の幕開けを迎えます。
いずれのビルも、大型厚肉H形鋼を用いた鉄骨造建築で、それまでの日本一の高層建築(73m)の2倍以上の高さを誇り、「街」としての機能を取り込んだ画期的な複合ビルとして建築されました。
当社は、その後の数々の超高層建築プロジェクトに参画していくことになります。
巨大プロジェクトに参画
首都圏進出後の1970年代、新宿副都心計画が進み、西新宿に超高層ビル群が立ち並びはじめます。
当社は、その多くに鉄骨を供給し、当時の最新の建築技術を集めた超高層ビル群を支えると共に、難易度の高い鉄骨製造の実績を着実に積み上げ、技術を磨いていきました。
また、1970年(昭和45年)に千葉第二工場(現、第二加工場)、1975年(昭和50年)には岡山工場を新設するなど、盤石な生産体制を築いていきます。
巨大テーマパーク
プロジェクトに参画
東京ディズニーランド・プロジェクトに参画し、1981年(昭和56年)より本格的に開始した多くのパビリオン建設に携わります。英語の設計図に悪戦苦闘しながらも、夢のある建築物の鉄骨製作を手がけました。その一つ「スペースマウンテン」は、今でも時代を感じさせず、スペース・ポート(宇宙港)として未来感を放っています。
建設ブームが終焉を迎えるなかにあっても、主要空港やターミナル駅の建設、数多くのランドマーク建築など、
多くの人が集う空間づくりに携わり、お客様からの高いニーズに応え続け「鉄骨の川岸」として
着実に成長を遂げていきます。
千葉第一工場が
Sグレード認定を取得
高層建築の増加に伴い、鉄骨製造における品質への要求は年々厳しくなっていきます。
当社は高度化するニーズに応えるために、国土交通大臣による鉄骨生産工場認定制度の開始後、いち早く最高位のSグレードを取得。現在まで、最高位を維持し続けています。
日本屈指の鉄骨生産体制を確立し、1988年(昭和63年)には東京都庁第一本庁舎の鉄骨製作を筆頭受注しました。
プレキャストコンクリート事業に
取り組む
1991年(平成3年)に茨城県下妻市に新たに筑波工場を新設し、建築用プレキャストコンクリート事業をスタートさせました。
高層マンションの建設需要が拡大する中、合理化と経済性の両立という時代の要請に応えるべく、新たな事業への展開を始めました。
東京スカイツリー®着工
1990年(平成3年)に着工する横浜ランドマークタワーの鉄骨製作を受注するなど、着実に超高層建築での実績を積み上げていきます。
また、2002FIFAワールドカップのメイン会場となった横浜国際総合競技場、新潟スタジアム(ビッグスワン)といった世界的なイベント会場にも携わりました。
そして、自立式の電波塔としては世界一の高さを誇る東京スカイツリー®プロジェクトにも参画、2008年(平成20年)に着工、2012年(平成24年)に竣工しました。
新国立競技場建設事業に参画
近年では、2017年(平成29年)に、木材と鉄骨のハイブリッド構造が注目された新国立競技場建設事業にも参画。当社が携わった多くの歴史的建造物が、人々が集うランドマークとして、街に彩りを加えています。
当社は、創業の精神を守りながら、時代の要請に応えるべく、モノづくりに真摯に取り組んでまいりました。
これからも、脈々と引き継がれる創業の精神はそのままに、環境に配慮した安心で安全、快適な、空間や街づくりに貢献します。そして、次世代へとつなぐことができる持続可能な社会の実現に向けて、
新たな可能性に挑戦していきます。
1906年(M39)
3月
|
川岸太一郎が川岸組を大阪に設立(創業) |
---|---|
1947年(S22)
3月
|
大阪市に川岸工業株式会社を設立(創立) |
1958年(S33)
2月
|
本社を福岡市に移転 |
1962年(S37)
1月
|
東京証券取引所市場第二部(スタンダード市場に相当)に上場 |
同年
1月
|
東京都中央区に本社を移転 |
1963年(S38)
5月
|
千葉県柏市に千葉第一工場を新設 |
1966年(S41)
7月
|
大阪府羽曳野市に大阪工場を新設 |
1968年(S43)
4月
|
千葉県柏市に千葉第二工場(現、第二加工場)を新設 |
1969年(S44)
7月
|
本社を東京都港区に移転 |
1970年(S45)
12月
|
千葉県東葛飾郡沼南町(現柏市)に 千葉第三工場を新設 |
1975年(S50)
5月
|
岡山県笠岡市に岡山工場を新設 |
同年
6月
|
川岸工事株式会社を設立 ※工事の現場施工を担う非連結子会社 |
1986年(S61)
3月
|
千葉第一工場が鉄骨生産工場Sグレード(旧制度)・ 国土交通省大臣認定 |
1991年(H3)
9月
|
茨城県結城郡千代川村(現下妻市)に筑波工場を新設 |
1999年(H11)
6月
|
山口県下松市に山口工場を新設 |
2000年(H12)
3月
|
千葉第一工場が鉄骨生産工場Sグレード(新制度)・ 国土交通省大臣認定 |
同年
12月
|
千葉第二工場を第一工場の第二加工場に変更 |
2001年(H13)
10月
|
千葉県柏市に川岸プランニング株式会社を設立 ※設計・積算業務を行う非連結子会社 |
2003年(H15)
10月
|
山口県下松市に中国支店(現、西日本支店)を開設 |
2013年(H25)
9月
|
大阪支店を中国支店(現、西日本支店)に統合 |
2014年(H26)
4月
|
中国支店を西日本支店と改称 |
2020年(R2)
5月
|
千葉第一工場に新事務所棟を竣工 |
2022年(R4)
7月
|
筑波工場がPC部材品質H認定を取得・一般社団法人 プレハブ建築協会 |
2022年(R4)
10月
|
川岸工事株式会社を吸収合併 |
会社案内パンフレットを
ダウンロードできます。