創業120周年記念
座談会
川岸工業の
過去・現在・未来
120年の歴史を振り返りながら、
川岸工業の「過去・現在・未来」について、
清時社長と若手からベテランまでの
社員5名に語り合ってもらいました。
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清時社長 -
青山 綾太
(生産設計部 設計 2023年入社) -
山本 響介
(営業部 営業課 2019年入社) -
今満 真之介
(製造部 製造二課 2013年入社) -
遠藤 千鶴
(生産設計部 現寸 2009年入社) -
積田 年明
(管理部 管理課 2008年入社)
theme 1 120年の歩みをどう感じた?
今満: 川岸の創業は大阪ですが、初めは九州を中心に活動していますよね。私は山口県出身、西日本の生まれなのですが、失礼ながら地方から始まった会社が、今や首都圏を中心に東京スカイツリー®などを手がけている。入社を決めたのは、そのような大規模建築物の実績があったからなんです。山口工場もあるし、入社は「運命」だったかも(笑)。
山本: 山口と岡山に工場があるし、西日本では「鉄骨といえば川岸」というイメージが強いですよね。年表を見て驚いたのはブラジルなどでの海外事業です。当時、日本企業が海外へ進出するのにしっかりついていった背景が見えて、すごいなと思いました。
積田: 私は「東の鉄骨会社と言ったら川岸工業」だと思っていました。川岸入社前は別のファブリケーターにおり、川岸はライバル会社でした。でも「100トンレッカー車のオペレーターを探している」と聞いて、自分の腕で飯を食ってやろうと決めて入社したんです。38歳で入社して17年、100周年の頃に100トン車に乗れたのは、まさに運命ですね。
青山: 120年の歴史の中で、アーク溶接などの技術が導入されたり、工場が増えていったりと、着実に技術力を高めてきた時期があったんだなと感じました。私は実家が仙台なので、かつて仙台工場があったと知って親近感が湧きましたね。
遠藤: 九州から首都圏に拠点を移すと決まった時、一緒に働いていた方々がそれについていくと一斉に決断したのが、ものすごい信頼関係だなと驚きました。正直、自分が家族の立場だったら「無理、無理!」と言いたくなる気もしますが、それでもみんなで移ったって聞いて。信頼が厚いチームだったのかなと感じました。
清時社長: 大阪から九州に一族が移り、今度はオリンピックがあるから九州から東京だ!と会社ぐるみで移動して…。遠藤さんが言ったように、強烈なリーダーシップとチームワークはその頃から培われたのだと思います。当時大英断したトップの力量の大きさには感慨深いものがあるし、それで成果を上げて今日に至っているわけですから、その決断力と実行力は皆で見習って、これから100年後も継続していかなければならないですね。
theme 2 川岸工業の昔と今でどんな変化がある?
積田: 昔も今も、間違いなく業界ナンバーワンですよ!超高層ビルの鉄骨の作りすぎで、モノづくりに熱が入りすぎる人が多い会社だと思ってます(笑)。やっぱり川岸で、東京都庁や東京スカイツリー®に携われたのは、すごい経験でした。
今満: 最初は、正直「ちょっと古い会社なのかな?」という印象でした。でも、今回歴史を知ると、時代に沿うように会社も変化して成長してきたんだなと感じられましたね。
山本: 入社した頃の川岸はどちらかというと個人主義、マンパワーで来ているイメージがあり、昔もそうだったのかなと思っていました。でも今は、みんなでやっていこうという「一致団結」の雰囲気を感じます。
青山: 技術も時代背景で求められるものが変わるので、それに適応しながらやってきた会社だと感じました。
遠藤: 時代に合わせてチャレンジして、常に最先端の技術を取り入れようとする前向きな姿勢がありますよね。私は、設計の仕事で最近は「2面転び」のような難しい加工も増えていますが、パソコンに向かっているだけじゃわからなくて。実際に工場へ行って職人さんと話し、「ここは加工がやりづらいんだ」と一つずつ学んでいくことが大切だと思っています。
積田: 自分は18歳から36年間鉄骨業界で仕事をしていて、100トンレッカーで鉄骨を運んでいますが、未だに「毎日が修行」だと思っているんです。ゴールにはたどり着けないですよ。今日も修行ですね。
theme 3 次の100年に向けて、どんな会社でありたい?
積田: 「川岸さんじゃないとダメ」とお客さまに言われる100年後にしたいですね。テレビをつければCMが流れていて。
清時社長: CMは悪くないね。建設会社もイメージアップや雇用確保のためにCMを打ったりしているし。建設業界の一端を担う鉄骨業界としてもPR活動をして、鉄骨業界を盛り上げると同時に建設業界の底上げに繋げていくのはありだと思う。
積田: 日本中の優秀な学生たちが「川岸工業に入りたい!」と言って集まってくるような、そんな会社になっているかもしれませんね!
清時社長: そんなことになったら嬉しいけど(笑)。川岸でしかできないスキルを磨いて、特殊材だけをやる部署を1つ作るっていうのもありなんだろうなと思う。そうすると、積田さんが言うように、「他にできるところがないから、ぜひ川岸さんお願いします」って言われるかもしれない。そういうニッチ戦略はビジネスとして十分ありえる。知名度を上げて、優秀な人材を確保して、部署を作って技術的な伝統を維持していって、それを川岸のウリにしていく、そういう循環ができるといいね。
今満: やっぱり時代の流れが早いっていうのを、ここ数年感じていて。社長がおっしゃるように循環して「歩みを止めない」ことが大事だと思います。躍動感を持ってやっていきたいですね。100年のうち、自分があと何十年携わることができるかわからないですけど(笑)。
山本: 私は、以前は工務部で現場を担当して、今は営業部なんですが、異動して強く思うことがあります。営業の立場になってみると、各工場や他部署にそれぞれ立場や意見があり、時には対立することもあるんですよね。でも、やっぱりあくまで川岸工業の仕事をしているという認識は共通していると感じています。部署の垣根を超えて一致団結して、一物件をみんなでまとめあげるというのが、今のやりがいかなと私は思っているので、そういった会社になればいいなと常日頃思っています。
青山: そうですね、より働きやすい環境にするためにも、当たり前かもしれませんがコミュニケーションをしないと成立しないですよね。わからないことを聞くときは、教えてくださる側と同じ熱量で聞かないといけないですね。
清時社長: モノづくりにおいて、コミュニケーションは不可欠だね。ただし、それは単なる仲良しグループでは意味を成さなくて、大切なことは、お互いが切磋琢磨しながら同じ目標に向かって力を尽くすことだと思います。例えば、前工程の担当者が後工程の作業がよりスムーズに進むように工夫を凝らす。そういう姿勢こそが、川岸工業が大切にしてきた「コミュニケーション」であり「思いやり」だと思う。思いやりを持って、同じ方向を見据えてみんなが進んでいく。その積み重ねがあったからこそ、大阪から九州へ、そして九州から東京へという、かつての大規模な拠点移動も成功したのではと推察しています。
遠藤: 川岸の社是にも「和を尊び」とありますよね。
清時社長: 「思いやり」は大事だから、ぜひ実践してください。「思いやり」のない人間には誰もついてこないから…。積田さんのような「思いやり」を大事ね(笑)。
積田: はい、もう、「優しさ」と「思いやり」を大切にって、よ〜く後輩に教えていきます!